Yes, I am a loser.

大学中退者の戯れ事日記。

わかるひとがわかってくれればそれでいい

なんか最近、棄てた筈の過去を振り返ったり、生意気なことに世間に対してちょっと斜に構えたりして、私なりに色んなことを考えてみた。世の中に「無駄」という言葉が存在するから、やっぱり無駄なことって世の中にはたくさんあるんだと思うけど(レジ袋とかね)、私は大学をやめたいと本格的に思い始めてから今に至るまで考えてきたことや起こったこと、行動してきたことはすべて意味があったのだろうと胸を張って言える。たとえ他人がloserな私を非難しても。


さて
明日から師走だ。
バイトも始まるし、バイトも始まるし、バイトも始まるし(しつこい)、とにかく今までとは180度異なった毎日になる。非リア充な私にはクリスマスなんて5文字は存在しないし、年中無休な弁当屋に年末年始なんて四字熟語は通用しない。
そんな12月を迎えるにあたり、考え込んだ。

私ってこれからどう生きていきたいんだろう。

さっき母に、「そんなに10代を後悔してるなら、20代の終わりに今みたいに後悔しないように残り10年をがむしゃらに生きなさい」と言われた。
そこで、今までの反省と今まで掲げてきた夢を改めて紙に書き出してみた。

私は、こう言うと恥ずかしくて卒倒しそうになるのだけど、今まで自分ってすごいと思っていた。
障がいをもった兄を持ち、認知症の祖父を持ち(亡くなったけど)、自身も精神的な病気で、それでも他の人と同じようにへらへらと生きていけてて、苦労とかたくさんしたし、差別もされたし、辛い思いたくさんたくさんしてきたけどそれでも毎日一生懸命生きてて、自分ってすごぉいって思っていた。
また、あんなに学校休んだのに、センター世界史8割取ったし、先生たちからもすごく励まされてたし、実際に現役で大学進学したし(たとえ行きたいところじゃなかったにしても)、文芸部では全国レベルで評価されてたし、小学生の頃から作文書いたり弁論大会で表彰されたりしてきたし、自分ってすごぉいって思っていた。

あーうぜー。
自分で書いててうざくて吐きそう。
だけどほんとにそう信じてたんだ。


まぁ言ってしまえば自信家というかプライドが高いというか単なるバカというか。なんとゆーか。






もしかしたら
もしかしたらもしかしたら
私は本当にすごい部分もあるのかもしれない。ここまで乗り越えてきたのは私だからだったのかもしれない。

けれど
ここまでしか来れなかったのもまた、事実なのだと私は最近気づいた。

世間から見たらやっぱり私は「大学中退者」だ。私は決して思わないけど、「単なる」フリーターだと笑う人もいるだろう。19歳でこの位置にしか身を置くことが出来ない自分になったのは、他の誰でもない、自分の責任だ。


**********************


私は今まで努力したことあるだろうか。


そう問うてみたとき、私は自分で即答した。


ない。ない。ない。ない。ない。
私は今まで頑張ってきたことなんてない。限界を越えたことなんてない。自分に課したノルマで自分が壊れそうになったことなんてない。常に妥協して諦めてまぁいいやってなってそうして諦めた自分を正当化するために色んな手立てを打ってきた。甘えだ。逃げだ。
ない。ない。ない。ない。ない。


これが、私の最大の10代の悔いだと気づいた。



そして今まで掲げてきた夢について考えてみた。
精神科医、弁護士、看護師、養護教諭、教師、カウンセラー、、、
数えきれないほどの夢たちがあった。
どれもその時思っていた気持ちは本物だ。

…………………………けれど

最後に私はこう書かざるにはいられなかったのだ。



大学生。




バカと笑っていい。
ついこの前まで私は大学生だったじゃないか。それを自分の意思で蹴飛ばしたのはどこのどいつだ。

………………
でも
さっきの「何も頑張ってきたことなんてない」今までの自分と、「大学生になりたい」と思ってしまった自分を足し合わせて混ぜ合わせてみたり、今年もセンター出願してしまった自分を改めて振り返ったりして

決めた。


やってやろうじゃん、と。
やってやろうじゃん、と。

大学受験、やり直そう。



私がやけになって、「今から私が東大理三目指すとしたら?!」と母に言ったことが何度かある。本当に東大理三目指している化け物たちは、私が純粋無垢に遊びまくっていた小学生、幼稚園の頃から受験勉強しているのに、19の今から頑張る人間なんて遅すぎるんだ、そう言いたかった。
母は顔色ひとつ変えずに答えた。

「やってみればいいじゃん」




そっか。
私はloserなんだもん。今さら何を迷ってるんだ。

負け犬の遠吠えは世間から見たら無駄吠えかもしれない。それならそれでもいいじゃないか。

面白い人生にしてやろうじゃん。
せっかくの人生だ。自分が面白いと思えることをしよう。それでいい。




もう一度言います。
私は大学生になりたい。

******************


で、改めて師走であることに気づかされる。
私の行きたい大学と今の私の学力は月とすっぽんどころかブラックホールと消しゴムのカスだ(なんだそのたとえ)。

単純に二浪ということになる。
しかも新課程だ。
寒気と眠気が一気に襲ってきて化学反応起こるくらいに理系科目が嫌いな私が、二科目理科を勉強しなければならない。恐ろしきおとろしきとろろしきとどろき!

でも
やるだけやる。
やるだけやる。


ちなみに
だからといって、バイト週5日8時間勤務のシフトを減らす気は微塵もない。前の大学の学費の奨学金はしっかり私が返すつもりだ。 二足鞋は無理だと嘲笑う人は勝手に笑っていればいい。やり遂げるのも失敗するのも諦めるのも全部私、詩織だ。




わかるひとがわかってくれればそれでいい。

がきんちょの叫び

あの、なんかこのブログの構造よくわかってないんですけど、最後に星がつくときありますよね?それって喜んでいいってことですよね?つけてくださる方、ありがとうございます。めちゃくちゃ嬉しいです。どのくらい嬉しいかっていうと、飼っている猫と両手を繋いでくるくる空へ飛んでいけるくらい嬉しいです。ありがとうございます。



バイト始まったらあまり書けなくなるので、今のうちに言いたいこと書きたいです。社会的に何になるわけでもないけど、やっぱり自己満足って大切なことなんじゃないかなって合理化してしまう自分です。でもそんな自分を素直に受け入れられるくらいのメンタルになりました。素晴らしい。

それとも少し関連するんですが、「信念」って私はすごく大切なことだと思うんですね。自分が自分らしく生きていくためのテーマみたいなもん。
私の尊敬している大好きな人がこのはてなブログにいらっしゃるんですが、彼は信念なんてないほうがいいとおっしゃってるんですね。なるほど、理由を聞けばこだわりがあると争いが起こる。こだわりがあるのは本当は自分に自信がないからだ。とかとか語っておられます。それにしてもまつたけさんの文章力ってほんとすごい。私は元文芸部なのにあんなふうに書けないわ。たったかたったか思い付くものなのかしらね。そうだとしたらほんとにまつたけさんは神だと思う。私はまつたけさんのブログに何度も救われてきた大勢の人たちのなかの一人なのだけど、今回はあえて反論してみよーかな?みたいな。何せ私は19歳。第2次反抗期の真っ盛りですからね←ぇ



その信念のことなのだけど、私はずばり「Yes, I am a loser.」であり、あともうひとつは「楽に自由にエゴに」生きることなのね。
この信念を今現在貫けている自信はあまりないのだけど、少なくともこれを信念として生きていこうと思えるようになった自分は半年前よりかなり進歩したなぁって。信念なんて精神強い人とかスポーツとか芸術にすごい才能持った人じゃなきゃ持てない100kgのダンベルくらい重たいものだと思ってたから。私みたいな凡人平民は…………………………あれ、中世のヨーロッパって平民が石とその上に聖職者と領主に潰されてる風刺画あった気がする。あれってめちゃくちゃ重たそう。
って、そうじゃなくて(なんだっけ……)、私は最近、信念っていうのは誰にでも持てるものだってことに気づいたんです。むしろ、強いから信念があるのではなく、信念があるから強いのだと思うのです。

で。
確かにまつたけさんのおっしゃる通り、こだわりや信念があると、固定観念というか思い込みというか、そういうのに縛られて争いが起きたりします。だからそんなものは投げ捨てて軽やかに生きていこうぜっていうのが彼の結論なのですが………………

私はそこで思うのです!
信念を投げ捨てて軽やかに生きていく、それこそが究極の信念の塊なのではないか?と。

というか
信念なんてねえよって鼻で笑って鼻水飛ばしちゃうような人も、信念がないと言う信念を持っているんじゃないかな。ほら、「もう誰も何も信じられない!!」って泣き叫ぶ人でも、誰も何も信じないということを信じてる、みたいな理屈。

だから結局信念とかこだわりっていうのはあって当たり前だし、無きゃ生きていけないものだと私は思うのであります。



少し話がずれますが
ムーミンに出てくるスナフキンっているじゃないですか。あのいけめんな。彼の台詞でこういうのがあります。

誰かを信じすぎると自由が奪われる

私はこれを聞いたとき、ぞわっとしました。恐ろしく真髄だからです。
きっとムーミンの作者はナチスドイツなどのファシズムへの当て付けのつもりでスナフキンを傀儡にして伝えていたのだと思いますが、何もヒトラーだけじゃなくて何にでも当てはまります。

人間不信に陥ったり、色々あって何も信じられなくなったり、人間はほんとに忙しい。でもそれでいいんじゃないかな。信じたくないものは信じなくていいのです。見たくないものは見なくていいのです。目を背けて布団かぶっていいのです。それが本当の自由ってやつです。何にも束縛されずに生きていけたら私はほんとに幸せだと思います。

もちろんそれは「わがまま」で「甘え」なことです。世の中にはルールや法律や規則や暗黙の了解や常識や道徳や規定や掟が溢れているし、それを見ないで世間は歩いていけません。
だけど、そればかりに縛られて絞められてぐるぐる巻きにされて生きていくのはあまりにも窮屈な人生だと思うのです。世界は私たちが思っているよりもずっと広くて、人生はずっと短くて長いのです。もっと翼を大きく広げて、休んだり眠ったり歩いたり飛んだり落ちたりしていいのだと、19歳のがきんちょは声を大にして言いたい。

私のアイロニー コントラディクション

なんかさーなんかさーなんかさーなんかさー
ブログってゆーのは本音をぶっちゃかめて(これって日本語?)うおーって夕空に染まる海に向かって吠えるためのものだと私は思うのね。つまり読んでる人に心地よーいあったかーいふわふわのココアみたいな味がする必要ってあんまないんじゃないかなって。たまたま私の叫びのヘルツが共鳴して赤外線通信できたらめっけもんじゃね?みたいな?(わけわかんない) まぁつまり好きなこと書いて何が悪いんじゃろねって話。まぁ殺人予告とか法律的にどぎゃんなのはよくないけどね。ってか法律って何なんだろうね。道徳って何なんだろうね。正義って何なんだろうね。要するに綺麗なお伽噺だよね。まぁどうでもいいんだけどさ。



じゃあ早速海に向かって吠えようと思うんだけど、「人の悪口」について語ろうかな。
友達同士の悪口ってほんとやだよね。聞いててほんと苛々するよね。どんなに顔のパーツが整ってる人でも、悪口言ってる人は超ブサイクだと思うな。ってか私ね、本人がいないところでその人の噂するのってすんごく嫌。 すんごく嫌。すんごく嫌。すんごく嫌。すんごく嫌。
とかいって、私もしちゃうときあるな。言ってるときはあんまり意識してないんだけど、そのあと一人になってから心が抉られて削られて微塵切りにされて炒めて黄金色になっちゃうくらい後悔する。その例に、この前の話をするね。

この前、半年以上ぶりに高校時代の友達ともつ鍋を食べに行った。初めて食べたもつ鍋はほんとにめちゃくちゃ美味しくて美味しくて美味しくてほっぺた落ちたくらいだったんだけど、やっぱり話のタネって言ったら高校時代の思い出になるよね。二人で一つの鍋をつつきながら、あの人はあの大学に入っただのあの人は今あの人と付き合ってるだの色んな話に花を咲かせてたわけ。

私、高校時代に自慢してたことは、私の周りの人たちは人の悪口を言わないってことだったの。実際、褒め言葉はすごく本人いなくてもいても関係なく飛び交うのに、悪口はあまり聞かなくて。もし誰かが言うと、空気悪くなってすぐに別の明るい話題になったり、単語帳広げて勉強始めるってパターンが多かったから、すごく私的に居心地よかったんだ。

…………ってゆーのが、嘘だったらしい。
クラスではめちゃくちゃ悪口とかヒエラルキーとか派閥とかあったらしいし、私の知ってる人間関係図ってゆーのは上っ面の地球の地表くらい薄っぺらいものだったんだって。受験生なのにお忙しいのね。とにかく、私は後半ほとんど教室に行ってなかったからよくわかってなかっただけで(鈍感だっただけで)、すごーくケイアスな世界がうちのクラスには流れていたらしい。

ははーん。
こりゃー私の悪口もオンパレードだったなぁって思ったね。私は勉強頑張ってた頃は机をバンッて叩いてうるさい教室の扉をガンッて締めて図書室に向かってたし、うるさい人にはドンッて肩を叩いたこともあるし、病気が悪化してからは死んだような顔してへなへなになってたし、悪口言うならもってこいのネタが詰まってるからね。ほら、お腹空かせた子羊だったし。


もつ鍋を一緒に食べた彼女は私がクラスでどんな風に思われていたのかとかについては一切触れなかったけど、色んな人たちの当時の酷評やら何やらを聞いて帰ってきた私は、死ぬほど嫌な思いをした。そして私はほんとに最低な人間だから、「実は私はあの頃あの人のことが嫌いだった」とかってことを彼女に暴露したり、暴露されたことに頷いたりした。


あーぁって思った。
人の悪口って何でここまで人を不幸にするんだろう。
彼女は「あの頃言えなかったことを今こうして言いたい放題言えて嬉しい」って言ってたけど、とんでもない。胸くそが悪いってこういうとき使うの?よくわかんないけど胸焼けがする(←違うだろそれ)。





私は友達の悪口を言ったことは今まで数えきれないほどあるし、これから先言わないって約束することも保証することもできない。人間好き嫌いあるのは当たり前だし、それについて同感を得られたらやっぱり嬉しいし、悪口っていうのは言っているその時は結構楽しかったりするし、盛り上がる。だから決して私は全否定して大きな顔して偉そうに道徳的倫理的思想で封じ込める技なんて使えそうもないのだけど、それでもあえてあえて反論してみる。




人の悪口ってね
言えば言うほど
あなたも同じ数だけ
言われているんだよ






私は今までのブログを読めばなんとなーく分かると思うけど、結構頑固で我が道を行く自由人ってゆーか、分析したり哲学的に物事をクリティカルに見たりする変人だから、理解されないこともままある。

私はね、嫌われてなんぼだと思う。別に悪口を言われるのが怖くて怯えて「悪口言うのはやめましょうよ」なんて話をしたい訳じゃない。
そうじゃなくて、私みたいな猪狼タイプを嫌う人は勝手に嫌っていればいいし、正反対のひよこぴよぴよタイプを嫌いなら嫌いでもいいし、とにかく好き勝手皆ひとりひとり生きていけよってこと。悪口言って群れてないで正々堂々好きな人と好きなこと好きなだけ好きなように生きろよってこと。


















(あれ、これってもしかして陰で悪口を言っている人に対しての悪口なんじゃないかな?とか言わないで←涙目)

私が悪いの

昨日更新してから気づいたのだけど、棄てたはずの過去を思いきり暴露していましたね。ってことで私は有言不実行人間であることが証明されました。ちゃんちゃん。


今おばあちゃんに
「詩織はどうしてあの大学に入ったの?」
と聞かれまして
どうしてやめたの?ならずらずら言えるのだけど、どうして入ったの?には暫く考え込んでしまいました。

「センター失敗したから」
「先生に勧められたから」
「歴史が勉強できるから」
とか、色々並べてみたのだけど、やっぱり一番は

「ここしかなかったから」

に尽きると思います。
当時のあの荒んだ精神状態を思い出すと、やっぱり私にはあの大学しかなかったのです。

*****************

1年生の頃に今でも付き合いのある親友に出会い、彼女と東北大のオープンキャンパスに行った。
当時私は理系志望で、彼女と同じように医学部に入りたいと思っていた。私は精神科医になりたかった。
そこで彼女と在学生と3人で二時間近くもお喋りをして、実験に参加したり、手術映像を見たり、何より彼女と本気で夢について語り合うことができて、私は決意した。
何がなんでも勉強頑張ろう、と。
彼女も同じ気持ちだったようで、勉強ブログを立ち上げて意識高く一緒に勉強を始めた。その間も、医師体験に行ったり、夢を語ったり、私たちは充実した毎日を送っていた。

のだけど、私は結局理系科目がどうしても好きになれず、そして世界史が大好きすぎて、2年に上がると彼女と別の文系に進んだ。
私は法学部に行って弁護士になることを決意。先生に、「どんなに劣悪な罪を犯した人でさえも詩織は弁護できるのか?」とかって嫌味を言われながら、3年の夏まで本当に勉強を頑張っていた。彼女とは教室がだいぶ離れてしまったので、そんなに話すこともなくなったが、心は繋がっているつもりだった。

で、
3年の5月に祖父が亡くなって、財産問題で親戚(とも思いたくないが)とうちの家族がもめることになった。そのとき、余計私は弁護士になりたいと思った。勉強もそれをモチベーションに頑張った。受験生のクラスとは思えないくらいうるさい教室を早々と出て、一人で図書室や生物室に逃げて勉強したり、朝早く校長先生直々に一対一で英語の和訳したり、駅ビルで遅くまで残ったりした。
けど、そのあほな親戚から色んな嫌がらせ(?)をされているうちに、なんだか疲れてきた。疲れはててきた。疲れはてた。

まるでペンのインクが切れるように、私は勉強しなくなった。試験まであと4ヶ月。私は登校拒否、もし行けても途中で具合悪くなってリタイア、母を叩いて八つ当たり、ものを投げる、意味もなく叫ぶ、髪の毛を切る、化粧品を荒らして香水を頭から被る、などなどぐちゃぐちゃな毎日が始まった。シャーペンを一週間持たない時もあった。
やっとのことで奇跡的に2日間受けたセンターは玉砕。今までの中で最低点数を叩き出した。
浪人することを考えたが、先生に大反対され、国公立をひとつも受験することなく県内の私大を受け、いとも簡単に合格し、そのまま入学した。

その試験に「umbrellaの第一アクセントを答えよ」という問題が出たとき、私は笑いながら絶望した。今時なら小学生でも分かる問題だろって思った。そして、それが今の私の立ち位置なんだなって思った。

ちなみに親友は、国立の医学部医学科に現役合格した。

**************

今考えると
私は今まで生きてきて何一つ努力なんかしてこなかったんだと思う。私が頑張ってきたと思っていた時期も、頑張っているふりをしてきただけで、何一つ何一つ何一つ頑張っていなかった。単に機械的に週末課題と予習と小テストをこなしていただけ。無駄に徒に時間を過ごしていただけなんだ。
そして親戚のせいにしていただけで、私は結局受験勉強から逃げたんだ。一番本気で頑張らなきゃいけない時期から逃げたんだ。私は本当は弱い。弱すぎる。何もかもを誰もかものせいにして、自分を正当化し被害者妄想して一人で病気に逃げたんだ。本当は気づいていた。本当は自分が悪いってこと。だけど、それを、認めてしまうと、今まで生きてきた自分のすべてを否定することになるから、怖くてできなかったんだ。

******************

案の定だった。
私は入った大学に馴染めず、やめた。
大好きな教授にも出会えたし、楽しい講義もあったけど、やめた。四年間この学生たちと同じ場所で同じ空気を吸っていける気がしなかった。

******************


でもね、そこにも嘘がある。
本当は気づいてたんだ。
4月に出会った友達も私と同じように不本意入学だったのだけど、彼女はこう言った。
「でもさ、どんなにわたしが否定しようと、この大学に来てしまったってことは、わたしはここの人間なんだと思う。」
私もそうなんだ。
もし課題をもっと真面目にやっていたら、復習に力を入れていたら、先生に進んで質問し続けていたら、数学から逃げなかったら、+αの勉強をコンスタントにやっていたら、学校を休まなかったら、人のせいにしなかったら、病気に逃げなかったら、もっと成績は上にいけただろうし、もしも具合の悪い状況に陥ってもそれなりの結果は残せたはずだ。

私はあの大学の学生のレベルや意識が低いだなんて糾弾する資格はないのだ。私が、私自身が、あの大学の人間だから。



私は勉強することが好きだし、ディスカッションすることやレポートを書くことも楽しいと思える。出来ることなら岩波文庫やちくま出版の本を堆くして読んでいたい。だから私は仮面浪人を考えたし、今年もセンター出願をした。
けれど、
けれど、
けれど、
私は気力をなくした。

大学に入って親のお金である数百万をかけて90分の講義を受けて、何になる。高卒から精一杯働いてきた人たちに大卒だと威張り散らして高い給料貰って、何になる。
私は何にも魅力を感じなくなってしまった。

もしかしたら、資格取得大学なら話は違ったのかもしれない。何がなんでも国家資格や採用試験に合格しなければならないという学生共通の目的がある大学なら、私もその中に溶け込んで頑張れたかもしれない。
………………そう思って、失笑した。
馬鹿か私は。
高校時代、大学に進学するという共通の意識を持った人たちが集まる進学校に身を置きながら、結局最後まで走りきれなかったのはこの私じゃないか。




私より成績は下だった人がそれなりに名の通った大学に通っていることがわかったり、Sラン大学で遊び呆けている友達のSNSを見たりすると、落ち込むときもある。悲しくなる。空しくなる。自分が馬鹿らしくなる。私は学生というキラキラ輝く身分を自分の意思で海に捨てたのだ。捨てずに現実に甘んじて生きていく方法だってあるのに。享受して甘受してそのまま生きていく方が楽なのに。




正直私はこれからどんな人生になるのか自分でもわからず、今も模索状態だ。いつまでもモラトリアムを生きているわけにもいかないということもわかっている。前にも書いたように、私は世間から見たら「loser」かもしれない。
けれど、、、
私はこれからの人生、ベストを尽くそうと思う。今までの前述の後悔だらけの人生をこのまま続けていくわけにはいかない。そのピリオドを打つ意味で、私は大学を中退したのだ。



ファイト
戦う君の歌を
戦わないやつらは笑うだろう
ファイト
冷たい水の中を
震えながら上ってゆけ

ピーチティーとS

ぬう。親知らず痛い。

今日は図書館で勉強しました。ほんとは市民ホールのつもりだったけれど、めちゃ混みだったので引き返し。往復五キロは歩いたと思います。歩くの大好き(^o^)v


飲み物を買いに近くのドラッグストアに行ったんですね。で、ピーチティーを選びました。100円なり。
いや、ふつーのティーズティーのピーチティーですよ。その一口を飲んだらね、なんだか思わずうるっときてしまって。そんな自分に笑顔がこぼれました。

は?!ピーチティーに涙する女の子ってなに?!



高校二年の頃、つまり二年くらい前ですかね。私は学校でピーチティーばっか飲んでいたんです。単にスーパーで88円という格安の値段で母が買ってきたもので、私が特別的にピーチティー大好きだったわけではないです。

私が通っていた高校は8時半から授業が始まって、1時から昼休みだったんですが、まぁ一応成長期(?)ですからね、お腹すくんですよ。皆は10分休みの度にお菓子食べたり弁当を開けたりしてました。女の子でさえ、移動教室で廊下を走りながらパンをかじってました。先生に怒られながら。
でもそのなかでも、健気な気が小さいおしとやかな少女がいました。その名もS。
Sはどんなにお腹がすいても、というか実際にパンを持ってきていても、教室内で休み時間に口に食べ物を入れるという行為が出来ませんでした。同じ部活の同じクラスの男の子に食べている姿をみられるのが恐ろしく恥ずかしかったからです。LOVE感情はあまり無かったのですが、彼は休み時間にあまり食べることをしなかったので、私が食べていて「Sけっこー食うのなw」と思われたくなかったから。(要するにLOVEじゃないかとか言わないで(/o\))

そーするとね、
お腹すくとね、
お腹ってさあ、

鳴るんだよね!!!!!!!!!!!!!!

ぐーってさ
お腹鳴るんだよね!!!!!!!!!!!!!!


恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいなんてもんじゃないんですけどね、とにかく授業中、ってかしーーーんって静かな小テストの時間に、お腹鳴っちゃうのよね。
シャーペンの先っぽで手をつついたり、息を止めたり、唇噛んだり、なんか意味無いんじゃね?っていうのも色々真面目になって本気で一人で抱え込んで泣きそうになりながら実践したS。けなげだ……。

いやいやいや、休み時間にお菓子ぼりぼり食べるよりもテスト中にお腹鳴る方が恥ずかしいだろって誰もが思うだろうけど、それでもそれでもSは持ってきたパンを食べることが出来なかったのです。ちなみに昼休みはお弁当ふつーに食べていたから謎です。Sの心境はSにしかわからぬのです。だから今の詩織にはわかりませぬ。


そのとき、Sが空腹をまぎらわせるたびに飲んでいたのがピーチティー。ちょびちょび飲みながらため息ついてました。「Sちゃんっていっつもピーチティー飲んでるね」って笑われながら。

とにかくね、高校二年から三年(三年には同じ部活の男の子とは分かれたのだけど、受験ムードで余計食べられなくなったのだ)はお腹空かせた子羊になっておりました。
というか、そのうちお腹すいてないのにお腹鳴るようになって、今考えると腹鳴恐怖症っていうか、ストレスの大きな原因になってました。深刻です。かなり、深刻でした。




ってことを思い出して、なんだかSの気持ちになって詩織はしばらくうるうるしてしまったわけです。

あのね、他人にとっては何てことはないこととか、バカじゃないの?って笑っちゃうようなことでも、本当に本当に本気で苦しくて泣きたくて絶望に暮れるようなときってあると思うんだ。いつそのときが来るのか、またその程度っていうのは人それぞれかもしれないけど、とにかくそういうときってあるんだよ。

でも、でも、それはずっとこの先続くわけじゃないんだね。いつかこうやって自分が笑って話せるようになるときが来るんだね。万物は流転するってヘラクレイトスさんが仰ってたけど、ほんとにいつまでもいつまでも同じ状況が同じ痛さで続くわけじゃないんだね。


それだけの話。(笑)

楽しい仲間がぽぽぽぽーん

ふたつめの更新\(^^)/

なんかね、朝久しぶりに早く起きたら、すごく毎日が充実してた。こうして二つ目の更新も出来るし、買い物もしたし、お風呂とトイレの掃除もしたし、靴も綺麗にしたし、バイト先にも行ったし、夕飯作って片付けも完璧にやった。勉強もしたよ!!笑

なんだかしあわせね(*^^*)


ってことで
今おばあちゃんと話したこと書きます。


このブログを読んでくださってる心根の優しい人間として優れたすばらしいあなたは、

見えないものを信じますか?



私は最近すごくすごく信じてます。
前にも書きましたが、これはけっっっっっして特定の宗教のお話ではありません。私は大学はキリスト系でしたが、家は仏教だし、でも私としてはユダヤ教とかイスラームに興味あるし、かといってそのことについてものすごい知識があるわけでもないし、新興宗教の「し」の字も知りません。あくまでもあくまでも私の考えです。誰かにこの思想を押し付けようとか広めようとかいう気持ちも微塵もありません。だけど、私のブログなので私の好き勝手に書かせていただきます。幸せなことに日本は表現の自由を保障してます。らんらんらん。

話を戻して
私の祖母は、ほぼ毎日、台所片付けが終わると、ガスコンロを拭きながら「ありがとうね、今日も美味しいご飯を作ってくれてありがとう」と言います。寝る前は「お母ちゃんお父ちゃんみっちゃんお父さん(私の祖父)庄司さんありがとうありがとうおやすみなさい」と手を合わせます。
母も、この前愛知や長野に旅行しに行ったとき、亡くなった自分の父(私の祖父)の写真を両手に掲げてたくさんの景色を父に見せていたらしいです。たぶん私が知らないだけで、車の運転のときや仕事に行く前などにも手を合わせているんだと思います。

そして私は、最近寝る前は必ず手を合わせて、「今日一日ありがとうございました。楽しく平和に過ごせました。明日もよろしくお願いします」って言います。夕飯のときには「おじーちゃーん、夕飯だよー。今日も一日ありがとねー」って遺影に手を振ります。



別にこんなに信仰心が深い家族なんだぜってことを自慢したいわけでも、何度も言いますがみんなもそうしろよって言いたいわけでもありません。


そもそも私は神様って存在をあんまり信じていません。もしもいるのなら、大切なときに転ばすし、助けてほしいときにドン底に突き落とすし、相当意地の悪い生き物だと思いますよ。神様って。
だから「神様」という固有の存在についてあれこれ論じるような真似は出来ないのだけど、そうやって何事にも感謝して感謝して感謝して毎日を過ごせるようになってから、なんだか気持ち的にも安定してきたんです。


私は正直、見えないものどころか、見えるものについても今までなにも感謝してきませんでした。中三の頃から家族が嫌いになって、友達もあまり信用せず、先生にたいしても斜に構えた態度を取ったり、いいこちゃんのふりをして実はみんなのことを遠ざけて生きていました。それで世間を知ったかのような顔して偉そうに上から物事を眺めて鼻で笑ったりして、かと思えば被害者ぶって「メンヘラ」になったりもしました。それで入院したり大切だった親友も失ったりしましたが、何よりも何よりも私自身が壊れていきました。

だけど
それでも私は立ち上がって元気に今、毎日を過ごせるってことは、決して私だけの力ではないのだと気づいたんです。

私は確かに立ち上がろうと思いました。このままではダメだと悟りました。ここで立ち上がれば強くなれると信じました。だけど、そうしてここまで強くなれたのは、私が意識的に排除してきた者たちでした。そのなかに見えないものがいるだけで、決して見えないものの存在を特別視しているわけではありません。



誰にたいしても、何にたいしても、どんなことにたいしても、なんてことはないものにたいしても、感謝できるようになったとき、人は前の自分より何倍も何十倍も強くなれるんだと思います。

私はこうやって、小さな縫いぐるみに「ありがと~」っていいこいいこしてる祖母や、祖父の写真を片時も離さない母と一緒に毎日過ごせることを、心の底からありがとうって思います。感謝の言葉だけでなく、挨拶はやっぱりぽぽぽぽーんですね(古いw)!


今日という日に、ありがとう。

親知らず痛い

親知らずの手術1回目が終わり、右頬がぶくっと膨れ上がっています笑 いと痛し(/o\)


さてさてどうでもよいのですが
寮から持ってきた段ボールを壊したいから、早く中のものを片付けてくれという祖母からのお達しがありましてね、二階から一階に持っていったんですね。
「これは屋根裏部屋に置いとこうかと思ってた」←私
「あらそう?」

と、言いながら……
祖母は私が指差した大学で使っていたプリントとか冊子(聖書まで!)を、紐で括り始めたんですよ。

「え、あ、いや、だから、取っておきたいなーと。」
「だってこの先見るの?」
「…………(確かに見そうにない)」

少し考えて
「あ、うん。いいよ捨てて。捨てていいよ!」
と私の口は動いておりました。


なんか、大学やめたんやなぁーってすごく痛感した。後悔は微塵も無いのだけど、あの教室にあの子たちと過ごすことはないのだなぁ~と。


そもそも物を取っておきたいなって思う気持ちって何なんでしょうね。不思議。すごく不思議。
どうせ読みもしないのに。どうせ忘れるくせに。……どうせ死んでしまうのに。
いや、別にニヒルな顔して「へっ。この世なんて空っぽな箱でしかないのさ」なんて宮沢賢治がベートーベンの真似してるみたいな絶望のポーズを取りたいわけではないのだけどね。
私なんか特に、過去なんてもう棄てたるわ!なんて豪語していたのに、ちゃっかり自然地理学の「D」のレポートを取っておこうとしていたのだから笑える。というか、今も花ちゃんから貰ったサイン入りの著書とか、法学とか社会学の教科書を捨てるつもりはない。

今日新しいバイト先に行って、書類書いたり挨拶したりしてきたけど、別にこの先半年間大学で学んできたことを生かす機会なんてありそうにない。思い出として取っておくほどの代物でもない。なのに取っておこうとしていたのはなぜなんだろう。



よくわかんないけど、過去とか思い出というものは、四六時中大事に抱えていいこいいこして育てていくものではないんだと思う。
たまーーーーーーーに、たまーーーーーーーに、偶然引き出しを開けて、ふとしたときに拾い上げて埃を払って、あぁこんなときもあったのねぇ~なんてふにゃふにゃに笑えるようになるまで、過去というのは思い出しちゃいけないんだと思う。

過去と他人にすがる生き方ほど惨めなものは無い。そこには自分の生き方なんてどこにもない。単なる過去と他人のコピーだ。

たまに何かの拍子に思い出して、へらへら笑って、そうして今を大切に今を着実に確実に生きていけるなら、過去っていうのももしかしたら悪いもんでもないのかもしれない。




とりあえず
紐で括りつけられたプリントたちには
さよならを告げました