Yes, I am a loser.

大学中退者の戯れ事日記。

楽しい仲間がぽぽぽぽーん

ふたつめの更新\(^^)/

なんかね、朝久しぶりに早く起きたら、すごく毎日が充実してた。こうして二つ目の更新も出来るし、買い物もしたし、お風呂とトイレの掃除もしたし、靴も綺麗にしたし、バイト先にも行ったし、夕飯作って片付けも完璧にやった。勉強もしたよ!!笑

なんだかしあわせね(*^^*)


ってことで
今おばあちゃんと話したこと書きます。


このブログを読んでくださってる心根の優しい人間として優れたすばらしいあなたは、

見えないものを信じますか?



私は最近すごくすごく信じてます。
前にも書きましたが、これはけっっっっっして特定の宗教のお話ではありません。私は大学はキリスト系でしたが、家は仏教だし、でも私としてはユダヤ教とかイスラームに興味あるし、かといってそのことについてものすごい知識があるわけでもないし、新興宗教の「し」の字も知りません。あくまでもあくまでも私の考えです。誰かにこの思想を押し付けようとか広めようとかいう気持ちも微塵もありません。だけど、私のブログなので私の好き勝手に書かせていただきます。幸せなことに日本は表現の自由を保障してます。らんらんらん。

話を戻して
私の祖母は、ほぼ毎日、台所片付けが終わると、ガスコンロを拭きながら「ありがとうね、今日も美味しいご飯を作ってくれてありがとう」と言います。寝る前は「お母ちゃんお父ちゃんみっちゃんお父さん(私の祖父)庄司さんありがとうありがとうおやすみなさい」と手を合わせます。
母も、この前愛知や長野に旅行しに行ったとき、亡くなった自分の父(私の祖父)の写真を両手に掲げてたくさんの景色を父に見せていたらしいです。たぶん私が知らないだけで、車の運転のときや仕事に行く前などにも手を合わせているんだと思います。

そして私は、最近寝る前は必ず手を合わせて、「今日一日ありがとうございました。楽しく平和に過ごせました。明日もよろしくお願いします」って言います。夕飯のときには「おじーちゃーん、夕飯だよー。今日も一日ありがとねー」って遺影に手を振ります。



別にこんなに信仰心が深い家族なんだぜってことを自慢したいわけでも、何度も言いますがみんなもそうしろよって言いたいわけでもありません。


そもそも私は神様って存在をあんまり信じていません。もしもいるのなら、大切なときに転ばすし、助けてほしいときにドン底に突き落とすし、相当意地の悪い生き物だと思いますよ。神様って。
だから「神様」という固有の存在についてあれこれ論じるような真似は出来ないのだけど、そうやって何事にも感謝して感謝して感謝して毎日を過ごせるようになってから、なんだか気持ち的にも安定してきたんです。


私は正直、見えないものどころか、見えるものについても今までなにも感謝してきませんでした。中三の頃から家族が嫌いになって、友達もあまり信用せず、先生にたいしても斜に構えた態度を取ったり、いいこちゃんのふりをして実はみんなのことを遠ざけて生きていました。それで世間を知ったかのような顔して偉そうに上から物事を眺めて鼻で笑ったりして、かと思えば被害者ぶって「メンヘラ」になったりもしました。それで入院したり大切だった親友も失ったりしましたが、何よりも何よりも私自身が壊れていきました。

だけど
それでも私は立ち上がって元気に今、毎日を過ごせるってことは、決して私だけの力ではないのだと気づいたんです。

私は確かに立ち上がろうと思いました。このままではダメだと悟りました。ここで立ち上がれば強くなれると信じました。だけど、そうしてここまで強くなれたのは、私が意識的に排除してきた者たちでした。そのなかに見えないものがいるだけで、決して見えないものの存在を特別視しているわけではありません。



誰にたいしても、何にたいしても、どんなことにたいしても、なんてことはないものにたいしても、感謝できるようになったとき、人は前の自分より何倍も何十倍も強くなれるんだと思います。

私はこうやって、小さな縫いぐるみに「ありがと~」っていいこいいこしてる祖母や、祖父の写真を片時も離さない母と一緒に毎日過ごせることを、心の底からありがとうって思います。感謝の言葉だけでなく、挨拶はやっぱりぽぽぽぽーんですね(古いw)!


今日という日に、ありがとう。