Yes, I am a loser.

大学中退者の戯れ事日記。

がきんちょの叫び

あの、なんかこのブログの構造よくわかってないんですけど、最後に星がつくときありますよね?それって喜んでいいってことですよね?つけてくださる方、ありがとうございます。めちゃくちゃ嬉しいです。どのくらい嬉しいかっていうと、飼っている猫と両手を繋いでくるくる空へ飛んでいけるくらい嬉しいです。ありがとうございます。



バイト始まったらあまり書けなくなるので、今のうちに言いたいこと書きたいです。社会的に何になるわけでもないけど、やっぱり自己満足って大切なことなんじゃないかなって合理化してしまう自分です。でもそんな自分を素直に受け入れられるくらいのメンタルになりました。素晴らしい。

それとも少し関連するんですが、「信念」って私はすごく大切なことだと思うんですね。自分が自分らしく生きていくためのテーマみたいなもん。
私の尊敬している大好きな人がこのはてなブログにいらっしゃるんですが、彼は信念なんてないほうがいいとおっしゃってるんですね。なるほど、理由を聞けばこだわりがあると争いが起こる。こだわりがあるのは本当は自分に自信がないからだ。とかとか語っておられます。それにしてもまつたけさんの文章力ってほんとすごい。私は元文芸部なのにあんなふうに書けないわ。たったかたったか思い付くものなのかしらね。そうだとしたらほんとにまつたけさんは神だと思う。私はまつたけさんのブログに何度も救われてきた大勢の人たちのなかの一人なのだけど、今回はあえて反論してみよーかな?みたいな。何せ私は19歳。第2次反抗期の真っ盛りですからね←ぇ



その信念のことなのだけど、私はずばり「Yes, I am a loser.」であり、あともうひとつは「楽に自由にエゴに」生きることなのね。
この信念を今現在貫けている自信はあまりないのだけど、少なくともこれを信念として生きていこうと思えるようになった自分は半年前よりかなり進歩したなぁって。信念なんて精神強い人とかスポーツとか芸術にすごい才能持った人じゃなきゃ持てない100kgのダンベルくらい重たいものだと思ってたから。私みたいな凡人平民は…………………………あれ、中世のヨーロッパって平民が石とその上に聖職者と領主に潰されてる風刺画あった気がする。あれってめちゃくちゃ重たそう。
って、そうじゃなくて(なんだっけ……)、私は最近、信念っていうのは誰にでも持てるものだってことに気づいたんです。むしろ、強いから信念があるのではなく、信念があるから強いのだと思うのです。

で。
確かにまつたけさんのおっしゃる通り、こだわりや信念があると、固定観念というか思い込みというか、そういうのに縛られて争いが起きたりします。だからそんなものは投げ捨てて軽やかに生きていこうぜっていうのが彼の結論なのですが………………

私はそこで思うのです!
信念を投げ捨てて軽やかに生きていく、それこそが究極の信念の塊なのではないか?と。

というか
信念なんてねえよって鼻で笑って鼻水飛ばしちゃうような人も、信念がないと言う信念を持っているんじゃないかな。ほら、「もう誰も何も信じられない!!」って泣き叫ぶ人でも、誰も何も信じないということを信じてる、みたいな理屈。

だから結局信念とかこだわりっていうのはあって当たり前だし、無きゃ生きていけないものだと私は思うのであります。



少し話がずれますが
ムーミンに出てくるスナフキンっているじゃないですか。あのいけめんな。彼の台詞でこういうのがあります。

誰かを信じすぎると自由が奪われる

私はこれを聞いたとき、ぞわっとしました。恐ろしく真髄だからです。
きっとムーミンの作者はナチスドイツなどのファシズムへの当て付けのつもりでスナフキンを傀儡にして伝えていたのだと思いますが、何もヒトラーだけじゃなくて何にでも当てはまります。

人間不信に陥ったり、色々あって何も信じられなくなったり、人間はほんとに忙しい。でもそれでいいんじゃないかな。信じたくないものは信じなくていいのです。見たくないものは見なくていいのです。目を背けて布団かぶっていいのです。それが本当の自由ってやつです。何にも束縛されずに生きていけたら私はほんとに幸せだと思います。

もちろんそれは「わがまま」で「甘え」なことです。世の中にはルールや法律や規則や暗黙の了解や常識や道徳や規定や掟が溢れているし、それを見ないで世間は歩いていけません。
だけど、そればかりに縛られて絞められてぐるぐる巻きにされて生きていくのはあまりにも窮屈な人生だと思うのです。世界は私たちが思っているよりもずっと広くて、人生はずっと短くて長いのです。もっと翼を大きく広げて、休んだり眠ったり歩いたり飛んだり落ちたりしていいのだと、19歳のがきんちょは声を大にして言いたい。