Yes, I am a loser.

大学中退者の戯れ事日記。

Yes, I am a loser.

ブログのタイトルでもある、「Yes, I am a loser.」について話してみます。



訳すと「はい、私は負け犬です。」と、ポジティブなアプティミスティックな自己肯定なのか、それとも完全なる後ろ向きな自己否定なのかわからない言葉なのだけど、なかなか私は気に入っている。私の信念を一言で表すとこんな感じ。こうやってこれからも生きていきたいと考えている。






この前最後に花ちゃんの研究室にお邪魔したとき、こんな話をしたんだ。

「私は誰がなんと言おうと自分のやりたいことやります。自己責任の上でどんなに遅くても必ず花を咲かせます。」←私

「詩織ちゃん。
例えばさ、すっごくすっごく苦労して、やっとのことで有名なアメリカのロースクールに30歳過ぎて進学した人がいるとするでしょ。それだとしても、1度も浪人や留年をせずに順調に順調にその場に行き着いた人って必ず存在するのよ。同じ教室で同じ先生のもとで同じ講義を受けているのに、その順調に生きてきた人はその人に言うわよ。『お前はルーザーだ』ってね。西洋人はそこらへんはっきり本人に言うから、傷ついて帰国してしまう日本人多いの。そんなこと言われても、『だから?』って言い返せるくらいの気概がないと、この世界は生き残れない。」


「お前はルーザーだ。」

その言葉は、私のなかで大きく響いた。
そうだ。私はルーザーなのだ。私がなんとほざこうが、世間で認められた勝ち組にとってみれば私はルーザーなのだ。











快感だ。




そう思った。

私は負け犬だと言うことを強みにして生きていきたい。認められなくても笑われてもバカにされても呆れられても、そしてその負け犬だということが確固たる事実だとしても、私は自分の信念を貫き通したい。



「Yes, I am a loser.」

そうニヤリと笑って言い返せるその日まで。

いちいちねちねち語る

「過去」
というなかなか厄介な2文字について考えてみようと思う。



過去の自分恥ずかしくてやっべぇもう過去の自分知ってる奴ら皆と訣別してぇ無理無理無理イタイイタイイタイっもう忘れたい辛いわぁうわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ(以下略)

とまぁ狭い部屋のなかを転げ回りたくなるわけですが、やがて時が経つとそうやって転げ回っていた時代も恥ずかしくて転げ回りたくなるわけであります。

そして絶賛その最中に生きてるわけでありますが、そもそも私の過去というものはどんなもんだったんでしょう(自ら傷跡をほじくりかえして膿をじゅくじゅくさせる業)?

昔読んだ本で、「あなたにとって<あの時>っていつですか?」っていう台詞があります。SMAPの歌にも似たようなのありますね。
「あれから僕たちはなにかを信じて来れたかなぁ あの頃の未来に僕らは今立てているのかなぁ」 夜空ノムコウ

私にとってあの時っていったらやっぱ中学3年の5月なわけですが、いやぁ今考えるとガキンチョがなぁに偉そうに人生悟った気になってんだよバーカww ってなります。そしてあの頃の未来に私が立っているのかと聞かれたら全力で首を横にぶるんぶるんさせて土下座いたします。すまん、詩織……。私は大学中退者だぜ……。

正直あの時は(というか今年の7月までは)、父親や祖母を憎むことを起爆剤にして毎日呼吸しておりました。すうはあすうはあ。叔母を恨むことで直立二足歩行者として生きて参りました。てくてくてくてく。

まー、リスカもしたし髪の毛切ったし香水頭から被ったし鋏とカッターと果物ナイフ買ったしODしたしなんかよくわかんないことをマジになってやりました。(やべえ、ほんとにイタイ)

そんなこんなやって鍵締まった病棟入ったわけだけど、その時は私には大切な大切な大切な仲間がいたから生きてこれてたのね。
真実はきーっと、私のことが大切で私のことをたいせつにしてくれてたわけではなかったんだろーなーってことを最近思うようになった。
まぁ、よーするに
私を大切に守っている真実自身が、大切だったんだろう。
そこで大切なのは「あたしチョー可愛いしぃ、誰よりあたしが一番あたしを大切にするのぉ」みたいな自己中心的自己満足型最強自己肯定の塊みたいなんじゃなくて、真実はあくまでも理想高く私を守る自分に酔っていたんだと思う。「やっべぇ、今のあたしめっちゃかっこよくね?」みたいな。
そのことに私も真実自身も、そして何よりまわりのひとたち皆も甘えてしまって、結果的に崩壊した。collapse。ruin。どぎゃーん。

「人と人は助け合っているんだよ」って<人>という字に準えて言う人いるけど、その時はうっせぇな、どっちかがどっちかに依存して結局どっちも死ぬだけじゃねえかって思った。そして今も半分くらいそう思ってる。


で、
真実と離れてから私は(私だけが?)そそくさ立ち上がっちゃったわけだ。
茶髪のパーマに化粧ばっちりバイトもしますよ彼氏もいますよわんさかわんさかさぁさ毎日お祭りだ!(お祭りのあとって絶対に空しくなるよね?)


今真実が私との崩壊による精神状態がどんななのかは知らんし、ぶっちゃけチョーどーでもいい。
真実ごめんね今まで私のせいで苦しんできたんだよねうるうる(T-T)って思ったときもあったけど、今はチョーチョーチョーどーでもいい。てか、こないだ真実の名字さえも忘れてたし。

なぜかっつーと
私が真実に依存していただけでなく、真実もまた私に依存して、そのことに快感を覚え、いざ崩壊したら今度は被害者意識として私を恨んでいるってゆー事実に気づいたから。バカタレ。だったら最初っから私のそばに寄るんじゃねーよって話だ。



はい。なんだか真実の話になってきたのでそろそろ一般化させますとね?
思うんだけど、イタイイタイ過去があるから今があるのはたしかにその通りなんだけど、だからってそのイタイ過去の思い出やら人やら自分やらを大切に大切に胸に抱えながらおよおよ生きていく必要はないんじゃないかな。

そもそも過去なんて所詮ガキンチョの頃の自分だ。どーでもいい。


SMAP夜空ノムコウの話に戻るのだけど、あの頃の自分が夢見た未来に今立っている必要なんてどっこにもないのだ。てか、立ててるから何なのだ。
幼稚園の頃の夢を叶えた奴は確かにある意味ではすげーかもしれないけど、私個人の意見からすると、お前それしか夢持てなかったの?さみしーなwって感じ。


てなわけで、
私は過去を大切にするようなことはしません。過去に出会った人は過去の自分が充分大切にしてきた(いい意味でも悪い意味でも)ので、あとはもうどーでもいいのです。とことん切って破って捨ててよいのであります。


さぁて、
かこかこかこはこんくらいにして、私はそろそろ眠ります……


その前に


ひとつだけちゅーいね。

「歴史は2度繰り返す」
という名言があるように、喉元過ぎれば熱さって忘れるもんです。
実際世界大戦は2度も起きてしまったわけです。
このことからわかるように、過去に起きてしまったことによっての弊害は覚えといた方がいいのかもしれませぬ。あくまでそれだけね。反省はすこーしは必要なのかも。いちいちねちねち年号月日とかその時に使われた兵器の色とか自分が殺した人の名前とかどーでもいいのです。そんなこといちいちねちねち気にしてるから今の問題を先送り先送りして未来が暗くなるのです。世界大戦のせいでたくさんの人が泣いた、それだけでよいのです。



さて寝るか。
明日からはいっっっっっっっっっっさい過去の話はしませんからねってことで最後にいちいちねちねち語ってみました。寝ます。

りなさんとランチ

りなさんとお母さんと3人でランチしてきた(*^^*)//

美人!痩せっぽっち!

すごく一生懸命でいい人だった。
ケアマネ目指していると聞いて、おぉ~ってなった。


皆色んなことを抱えながら生きてるんだなぁって思った。すごく思った。

なんか今まで自分を特別視していたんだろうな。私は他の人と違うって。良いようにも悪いようにも。馬鹿みたい。そして今も未来の自分から見たら、イタい奴なんだろうな。

実家なう

今日は実家に帰ってきた(*^^*)

なんと、ほっともっとに電話したら早速面接になり、ほしてその場で採用が決まった\(^^)/


12月から忙しい毎日が始まるぞ。
これから先色んなことがあるだろうけど、頑張っていこう!ファイトだ詩織!

大学中退者

退学届を提出した。
びっくりするくらいあっけなかったのだけど、きっと死亡届もこんなもんなのだろうとも思った。

ここでうるうる涙ながらにこの7ヶ月を振り返ったところで何になるわけでもないし、そもそもそれを一番当て付けに伝えたい奴等はもうこのTLを見ることはないだろうから、私は潔くこの短い大学生活を丸々忘れることにする。

現在ニートなので、懸命に勉強や仕事と闘っている現代人と同じ目線で社会を批判するわけにはいかないのだけど、せっかくこのような貴重な身分を頂戴したのだから、今のうちに今しか語れないことを書く。

ある予備校で、7浪している人がいるらしい。実質8年間受験生でいるということだ。同級生は大学を卒業して就職している年齢だ。
また、現役に日東駒専を受けて失敗した地理選択者が、今年早慶を目指すために本番4ヶ月前にして世界史に手をつけたという。一般的に2年かけて履修する科目だ。
このことを今の私に教えてくれたご丁寧なお方は、嘲笑っていた。「馬鹿だよね」と。

私は基本的に人をやみくもに批判することは好きじゃないけど、どうしてもその嘲笑った声が忘れられなくて苛立ちを覚える。
人を馬鹿にするなんて許せない!みたいな道徳的なことを言いたいんじゃなくて、どーでもいいじゃん!ってこと。

他人の人生だ。
確かに現役で東大入って留年もせずに国家公務員試験受かって引退後は天下りしてがっぽがっぽ余りに余ったお金で額の汗を拭くような人間はいるし(別に天下りを批判する訳じゃないけど)、そういう人から見たら大学受験もどきで7浪もしたり、1年もせずに大学を中退するようなやつなんて負け犬、loserなのかもしれない。

だけど、他人の人生なんてどーでもいいじゃないか。関係ないじゃないか。
嘲笑うことも、賞賛することもしなくていい。とにかく黙ってろよと言いたい。その人がそうしたいと思ってそうしてるんだったらそうさせとけ。
私は今からtrainingをするのでニートじゃなくなるけど、ニートのままでいようとフリーター生活になろうと大学生に戻ろうと社会人として生きていこうと他人の知ったことじゃない。嘲笑われる筋合いも全く無い。

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よーするに
私は自分の責任の上、好き勝手に生きていくぞって話でした。

花ちゃんだいすきー!
サイン入りの本は私の宝物です★

TLからのコピー

人生に疲れた時に読み返すお話。(保存版)

まぁたぶんね、世の中苦労も何も知らぬままへらへらと生きていける人というのはやっぱりいるわけで。溺れてる人を嘲笑う人もいれば、嘲笑う人を見て見ぬふりする人もいるわけで。そして溺れてる人や転んだ人やうずくまってる人を全て全て引っくるめて「メンヘラ」だとかいう大変便利な言葉も存在するわけで。(当て付け)

私の話に帰着させて悪いんだけど、だいたいこの一年、何かいいことあったっけ?みたいな。 受験にも友達にも彼氏にも店長にも見放されて。とゆーか、生きてる価値あるのかなーとか思うけど、何より私は死ぬ価値も無い人間だからとりあえずこの世に居候させてもらってる。

私は元文芸部でありながら、綺麗な言葉というものがとても嫌いだ。いや、というか文芸部だからなのかな。下手にメッセージ性がそのまんま伝わる本とかうーわって感じ。よくあるじゃん、ほら(と、例を出すとNGな気がするので略)。
要するに生きていくのに意味とか価値とか理由とか求めると、辛くなると思うんだ。いやまぁ、そんなのを求めずに無利無欲にストイックに生きていけたらーーなんて無理に決まっとるけど。所謂「メンヘラ」(当て付けpart2)ってのは、期待しすぎちゃうんだよね。だから絶望する。

人生に疲れたなーって思ったら、いっそ自己中心的に生きていいと思う。他人とか未来にいちいち目線を動かさないで、自分の感情に任せる。学校も休んでいいし、働かなくていいし、引きこもりニートで(現在進行形w)。思うんだけど、社会の目を気にするから社会が厳しいと感じるだけで、エゴになればそれほど社会も人生も堅苦しいもんじゃない。

とはいえ
やっぱTwitterとかで、めちゃくちゃ大学生活エンジョイしてる高校時代の同級生のアカウント見ると泣きたくなるし(なぁーにが台湾旅行だ!)、 電車に乗っててぼろぼろの単語帳抱えてる高校生とか見かけるとなんか悔しくなるし、手を繋いで開運橋渡ってるカップルには嫉妬もしますけどねー。


何が言いたいかってゆーと、

誰にも理解されなくても、批判されても笑われても、自分の人生なんだから、あんま疲れることはしなくていんじゃね?もっと楽に自由にエゴに生きてもいんじゃね?ってこと。
特に私は19にして人生疲れはててしまったので、余生は好き勝手に生きさせてください。




昨日の続き。

とか言うものの、そんな自由になんかなれるわけねえだろって思う。朝になれば着替えて通学バスに乗らなきゃならないし、何だかんだ言って宿題とかあるし(嘘)、そろそろ親孝行のことも本格的に考えないとなーって思うし、外国行きたいけどそのためには稼がなきゃだし。
やっぱ好き勝手に生きられるわけないんだ。(完)


……とまぁ定義付けたところでふと疑問が浮かぶ。なんで大学(というか学校全般)に行かなきゃならないんだ?ってこと。
確かに大学全入時代だとか巷では騒いでるけど、高(中)卒で立派に働いてる人もいれば、所謂引きこもりさんもいる。登校拒否も珍しくない(経験済)世の中になりつつある。
もうひとつ。
何で社会性とか協調性とかそんなに重要視されるの?
社会や大人に揉まれて生きていかなきゃならないとか、運動会では組体操とかさんさ踊り(北上中w)とかやらなきゃならないとか。だってゲームプログラマーとか家のなか一人で働けるじゃん。

私の答えはあくまでも変わらない。
楽に自由にエゴに生きてもいいんだよ。

大学に行きたいなら努力すりゃあいい。働きたいなら履歴書108円で売ってる。
逆に学校行きたくないなら行かなくていい。やりたくないことがあるんならやらなきゃいい。無理にしたってその目的が達成されても嬉しくないよ。
大学行きたいけど頑張りたくない、って人は正直お門違いかな。それは私が指すエゴとは少し的が外れている。

私はやりたいことがある。
ネットを開けば、同じように考える変人っていうのは結構多くて、皆他の人に叩かれてる。「あなたが私の子どもじゃなくてよかった」なんて。うっせーな。こっちから願い下げだっつうの。

でも私は思うんだ。
やりたいことがあるんなら、誰がなんと言おうとやるべきだ。突き進むべきだ。やりたくないことがあるんなら、全力で避けていい。それは逃げでも甘えでもない。風邪を引いた人がセール中のデパートに行きますか?それと同じ。
私はすごく中途半端に生きてきたから、今度も無駄に終わるのかな?とか思うけど、それならそれでもいい。ゴールすることが全てじゃないし、それこそ自己責任ってやつだ。

だから私は今へーきで嫌な講義はサボタージュしてるし、嫌な人とは付き合わないし、大学生には不必要な代物を鞄にしのばせて図書館に籠る。

それでいいんだ。
楽に自由にエゴに。

大学に行く理由がわかった!の巻

もうすぐ学生証を返却する日が近づいてきました。こうして私は12年7ヶ月の学生生活を引退させていただきます。復帰の時期は未定です。

やめるにあたってはそりゃーまー悩みました。迷いました。いつからって、正直入学式から悩んでいた気がします。無い頭を使って、自己存在否定に陥ったり、過去にすがりついたり、言い訳したり、かと思えば悟ったような気になったり、まぁ考えました。教授に相談しまくって、寮母さんに愚痴りまくって、(友達いないことがここで明らかになる)、結局一人で瞑想にふける日々でした。平日、開運橋の近くの喫茶店で抹茶カプチーノを飲みながら死んだような顔をした茶髪の女性がいたら、それは私です。

で、
結局あることがわかりました。

色々ぐるぐるぐちゃぐちゃ悩んで迷って狂って決めたことと、最初に考え付いたことは、さして変わりないということ。それを考え付いたということは、やっぱそれなりに理由があるんです。そう考えざる得ない出来事があったんです。

さてそんなわけで私は今のところ、今のところ、今のところ!!ニートなわけですが、、、

このまんま私は母の背を追うつもりでした。
介護の世界に飛び込んで、ばりばり働いて、ケアマネとか精神保健福祉士とか取って、大卒だって偉そうに椅子にもたれかかってる奴らを見下すつもりでした。(いえ、言葉が過激でした笑)

そんなとき、中国から来た留学生とお喋りをしました。
正直同年代の人と会話するのは1ヶ月以上ぶりのこと……(ほんとにこいつ友達いないんだなとか笑わないで)。

はじめは他愛ない話だったのだけど、だんだん真面目な話になりました。今の日中関係だとかね。果ては天安門事件について知ってるか、まで私は聞いてしまいました。教養も理解も優しさもある彼だから聞いたんですよ。実際真面目に答えてくれました。

その時はっきりと思った。

めっちゃ楽しい!!!めっちゃ楽しい!!!

って。私のその時の目はきらきら輝いていたでしょう!

きっとこういうことじゃないかなって。
大学に行く、それはきっと自分が本当にきらきら出来ることを見つけるためじゃないかな。



これから私は人生のリスタートを切るつもりでした。
けれどきっと私は、再、どころかスタートラインにも立っていなかったのだと思います。
これからの人生どうなるかはわからない。人から笑われる生き方になるかもしれない。馬鹿にされるかもしれない。呆れられるかもしれない。

でも私はそれでもいいです。
私はきらきらして生きていきます。



最後に。
盛岡大学、ありがとう。
楽しかったと言ったら嘘になるけど、花ちゃんをはじめとするたくさんの人に囲まれて、本当に価値ある日々を過ごせました。これからの人生においても、きっとこの7ヶ月は無駄ではなかったと振り返られるでしょう。
そして
さようなら。