Yes, I am a loser.

大学中退者の戯れ事日記。

私が悪いの

昨日更新してから気づいたのだけど、棄てたはずの過去を思いきり暴露していましたね。ってことで私は有言不実行人間であることが証明されました。ちゃんちゃん。


今おばあちゃんに
「詩織はどうしてあの大学に入ったの?」
と聞かれまして
どうしてやめたの?ならずらずら言えるのだけど、どうして入ったの?には暫く考え込んでしまいました。

「センター失敗したから」
「先生に勧められたから」
「歴史が勉強できるから」
とか、色々並べてみたのだけど、やっぱり一番は

「ここしかなかったから」

に尽きると思います。
当時のあの荒んだ精神状態を思い出すと、やっぱり私にはあの大学しかなかったのです。

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1年生の頃に今でも付き合いのある親友に出会い、彼女と東北大のオープンキャンパスに行った。
当時私は理系志望で、彼女と同じように医学部に入りたいと思っていた。私は精神科医になりたかった。
そこで彼女と在学生と3人で二時間近くもお喋りをして、実験に参加したり、手術映像を見たり、何より彼女と本気で夢について語り合うことができて、私は決意した。
何がなんでも勉強頑張ろう、と。
彼女も同じ気持ちだったようで、勉強ブログを立ち上げて意識高く一緒に勉強を始めた。その間も、医師体験に行ったり、夢を語ったり、私たちは充実した毎日を送っていた。

のだけど、私は結局理系科目がどうしても好きになれず、そして世界史が大好きすぎて、2年に上がると彼女と別の文系に進んだ。
私は法学部に行って弁護士になることを決意。先生に、「どんなに劣悪な罪を犯した人でさえも詩織は弁護できるのか?」とかって嫌味を言われながら、3年の夏まで本当に勉強を頑張っていた。彼女とは教室がだいぶ離れてしまったので、そんなに話すこともなくなったが、心は繋がっているつもりだった。

で、
3年の5月に祖父が亡くなって、財産問題で親戚(とも思いたくないが)とうちの家族がもめることになった。そのとき、余計私は弁護士になりたいと思った。勉強もそれをモチベーションに頑張った。受験生のクラスとは思えないくらいうるさい教室を早々と出て、一人で図書室や生物室に逃げて勉強したり、朝早く校長先生直々に一対一で英語の和訳したり、駅ビルで遅くまで残ったりした。
けど、そのあほな親戚から色んな嫌がらせ(?)をされているうちに、なんだか疲れてきた。疲れはててきた。疲れはてた。

まるでペンのインクが切れるように、私は勉強しなくなった。試験まであと4ヶ月。私は登校拒否、もし行けても途中で具合悪くなってリタイア、母を叩いて八つ当たり、ものを投げる、意味もなく叫ぶ、髪の毛を切る、化粧品を荒らして香水を頭から被る、などなどぐちゃぐちゃな毎日が始まった。シャーペンを一週間持たない時もあった。
やっとのことで奇跡的に2日間受けたセンターは玉砕。今までの中で最低点数を叩き出した。
浪人することを考えたが、先生に大反対され、国公立をひとつも受験することなく県内の私大を受け、いとも簡単に合格し、そのまま入学した。

その試験に「umbrellaの第一アクセントを答えよ」という問題が出たとき、私は笑いながら絶望した。今時なら小学生でも分かる問題だろって思った。そして、それが今の私の立ち位置なんだなって思った。

ちなみに親友は、国立の医学部医学科に現役合格した。

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今考えると
私は今まで生きてきて何一つ努力なんかしてこなかったんだと思う。私が頑張ってきたと思っていた時期も、頑張っているふりをしてきただけで、何一つ何一つ何一つ頑張っていなかった。単に機械的に週末課題と予習と小テストをこなしていただけ。無駄に徒に時間を過ごしていただけなんだ。
そして親戚のせいにしていただけで、私は結局受験勉強から逃げたんだ。一番本気で頑張らなきゃいけない時期から逃げたんだ。私は本当は弱い。弱すぎる。何もかもを誰もかものせいにして、自分を正当化し被害者妄想して一人で病気に逃げたんだ。本当は気づいていた。本当は自分が悪いってこと。だけど、それを、認めてしまうと、今まで生きてきた自分のすべてを否定することになるから、怖くてできなかったんだ。

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案の定だった。
私は入った大学に馴染めず、やめた。
大好きな教授にも出会えたし、楽しい講義もあったけど、やめた。四年間この学生たちと同じ場所で同じ空気を吸っていける気がしなかった。

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でもね、そこにも嘘がある。
本当は気づいてたんだ。
4月に出会った友達も私と同じように不本意入学だったのだけど、彼女はこう言った。
「でもさ、どんなにわたしが否定しようと、この大学に来てしまったってことは、わたしはここの人間なんだと思う。」
私もそうなんだ。
もし課題をもっと真面目にやっていたら、復習に力を入れていたら、先生に進んで質問し続けていたら、数学から逃げなかったら、+αの勉強をコンスタントにやっていたら、学校を休まなかったら、人のせいにしなかったら、病気に逃げなかったら、もっと成績は上にいけただろうし、もしも具合の悪い状況に陥ってもそれなりの結果は残せたはずだ。

私はあの大学の学生のレベルや意識が低いだなんて糾弾する資格はないのだ。私が、私自身が、あの大学の人間だから。



私は勉強することが好きだし、ディスカッションすることやレポートを書くことも楽しいと思える。出来ることなら岩波文庫やちくま出版の本を堆くして読んでいたい。だから私は仮面浪人を考えたし、今年もセンター出願をした。
けれど、
けれど、
けれど、
私は気力をなくした。

大学に入って親のお金である数百万をかけて90分の講義を受けて、何になる。高卒から精一杯働いてきた人たちに大卒だと威張り散らして高い給料貰って、何になる。
私は何にも魅力を感じなくなってしまった。

もしかしたら、資格取得大学なら話は違ったのかもしれない。何がなんでも国家資格や採用試験に合格しなければならないという学生共通の目的がある大学なら、私もその中に溶け込んで頑張れたかもしれない。
………………そう思って、失笑した。
馬鹿か私は。
高校時代、大学に進学するという共通の意識を持った人たちが集まる進学校に身を置きながら、結局最後まで走りきれなかったのはこの私じゃないか。




私より成績は下だった人がそれなりに名の通った大学に通っていることがわかったり、Sラン大学で遊び呆けている友達のSNSを見たりすると、落ち込むときもある。悲しくなる。空しくなる。自分が馬鹿らしくなる。私は学生というキラキラ輝く身分を自分の意思で海に捨てたのだ。捨てずに現実に甘んじて生きていく方法だってあるのに。享受して甘受してそのまま生きていく方が楽なのに。




正直私はこれからどんな人生になるのか自分でもわからず、今も模索状態だ。いつまでもモラトリアムを生きているわけにもいかないということもわかっている。前にも書いたように、私は世間から見たら「loser」かもしれない。
けれど、、、
私はこれからの人生、ベストを尽くそうと思う。今までの前述の後悔だらけの人生をこのまま続けていくわけにはいかない。そのピリオドを打つ意味で、私は大学を中退したのだ。



ファイト
戦う君の歌を
戦わないやつらは笑うだろう
ファイト
冷たい水の中を
震えながら上ってゆけ