Yes, I am a loser.

大学中退者の戯れ事日記。

守られて一度きりの生き方を構成していく

工藤さんとおしゃべりしてた。
私が一方的にべらべらしゃべってたともいう。


価値観というのはひとそれぞれだから、私と180度異なった価値観の持ち主にあれこれ語り聞かせて洗脳させようとか改心させようとかいう気持ちは全くないし、むしろそういう人たちと本気で議論しあって視野の広い人間になりたいのだけど、やっぱり価値観の似ている人とおしゃべりするのはとても楽しいことだ。



ちょっぴり関係ない話をする。


たまに、「あ~私って守られてるなぁ」って思う瞬間がある。
木の枝が目に入りそうになったけど何とかセーフだったり、スカートの裾に引っ掛かったけど転ばずに済んだ場合だったり、ぶっちゃけほんとにしょーもないことでそんなことをつくづく実感して暫く瞑想に浸ったりする変人なのだが、そんな自分のことは嫌いではない。

誰に守られてるって、別にここで宗教的な説教をしたいわけじゃない。仏様かもしれないしイエスかもしれないしYHWHかもしれないしアッラーかもしれないしアフラマズダかもしれないし、死んだおじいちゃんかもしれないし、私の背中にいつもいる守護霊様かもしれないし、毎日のようにlineをくれるお母さんかもしれないし、秋田にいる親友かもしれないし、コンビニの店員かもしれないし、そのへんに住む野良猫かもしれないし、小さな小さな石ころかもしれない。

とにかく
何者かに何物かに守られて毎日生きてるってことは、強ち間違いじゃないと思う。

永遠に私のことを守ってくれるわけではないかもしれな
い。明日には敵になってる可能性もある。けれど、そういうこともひっくるめて、私はすごく守られている存在だなぁと感じるのだ。

そしてそれと同時に、私は今誰かのベールになっているのだ。誰かの生きる活力となっているのだ。



ありゃりゃりゃりゃ、詩織にしては珍しくモラル的ですね。正義のヒロインでも演じたいんでしょうか。正しさを説いて説き伏せて封じ込めようとでも疚しい気があるんでしょうか。

というアンチはスルーするとして、、、

私はね、生きてるってことは迷惑を掛け合って守りあって毎日を過ごすってことだと本当に思うんだ。一方通行で物事は進まないんじゃないかな。



こんなことを思うようになったきっかけが、工藤さんだ。
それまでの私は、自分の存在そのものが迷惑極まりなくて、申し訳なくて、いかに皆に迷惑を掛けずに済むかってことに全身の神経を注いで生きていた。そんな私が、迷惑は掛けてナンボ、守られて守って生きてくぜベイベーって思えるようになったのは自分でもすげーなって思う。





色んな生き方がある。
色んな生き方がある。

人生は一度きり。生きるのは一度しか出来ないけど、色んな生き方を知って、生きていきたい。




工藤さんありがとう。
大好きだよ(*^^*)