Yes, I am a loser.

大学中退者の戯れ事日記。

排水溝

お風呂の排水溝で指を切った……。痛い(._. )

今日は漢検と英検の問題集をお母さんが買ってくれました。どちらも準一級。
早速といてみましたが、36問中4問しか正解しないというレジェンドを作ってしまいました。

いいもん!2015年中に必ず合格するもん!


勉強中に音楽を聴いてはいけないとか何とかよく言いますが、私は「集中力」という名前の音楽をイヤホンで聴いています。水の流れとかピアノの演奏が約一時間流れるので、勉強時間を測ることもできるし、私は好きです。英語は私はべらべら喋りながら勉強するので、そういうときは外しますが(^-^)



夢をかなえる象 って本、結構有名ですよね。
そのことについて語りたい気分***


この本は、定期的に読まないと私はモチベーションが維持出来ないというか、気分が揚がらないので、必ず本棚のよく届くところに置いてます。というか、布団の横に本棚があるのでどの本も全て手に届くけどね。

なんというか
最初読んだとき、グサグサグサっとやられました。
自分がいかにして失敗を繰り返してきたのかがすべて書いてある。私は未来に期待しすぎていたのだなぁと。

きっとこのように計画すればうまくいくだろう、と。
今までこんなに苦労してきたのだから、きっと報われるだろう、と。

浅ましい(._.)
だけど誰でもそうだと思います(思わなきゃ私はやってられません)。


それをちゃぶ台をひっくり返すかのように厳しく楽しく覆してくれるのがこの本。


…………実は最近読んでいなかったから反省するところが山のように出てきてあぷあぷしてます( ̄▽ ̄;)



自分駄目だなぁって思うとき、ありすぎてありすぎてわけわからなくなるけど、そういうときにガネーシャの関西弁によってカツ入れられてます(*^^*)




最近哲学的なこと考えてないのは色々動き回るようになってきたからかな。仕事始まればもっともっと考えなくなる気がする。それはいいことなのか……いいことなのか……いいことなのか……。


明日は親知らずの手術ですーーーーーーー!
怖いけど頑張る。頑張るけど怖い。




\(^^)/いつもありがとう\(^^)/

うっしゃー!!

うっしゃー!
テンション高い詩織です。
今日は明日行くつもりだった美容室へ行ってパーマかけてきました。髪の毛からいい香り~♪私は女の子でほんとによかったわ~♪


で。
なぜテンション高いかというと

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今度英検を受けようかと思って、どの級を取ろうかな~と迷っていたんです(ちなみに準2級保持者)

そしたら測定できる試験みたいなのがスマホで出来て、やってみました


結果
文法レベル) 二級
単熟語レベル)一級

でした。
ひゃ~!単語レベルひゃっほい( °∇^)]*1\(^^)/

高校時代のユメタン地獄は無駄じゃなかった(*^^*)
嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい~♪

正直、4級レベルとか、自分が今持ってる級より低かったらどうしよう……とビビりまくってたので、嬉しい~


…………そこで神様がお告げになる。

おぬし、調子に乗るな。
おぬしは何よりもリスニングが小学生レベルであろう。


そ、その通りでした神様。私はそのことを忘れておりました。。。


去年のセンター試験のリスニング、笑えるくらい涙の点数だったもんね。。
とりあえず簡単なのから耳をならしていこーう!




私、必ず2015年、
英検準一、漢検準一、行政書士の資格取る。

ぜってー合格する。ぜってー合格する。負け犬の遠吠え、舐めるなよ!!!!!!!!!

*1:o(^∇^)o

普通の日記

今日はイオンとしまむらに行って色々買った。
ブーツと靴と服。=5000yen

ふう。
母には一生頭が上げられない。

大切に使います◎
あとはもう暫く買い物するのは控えよう。
明後日美容室に行くけど。



寝る前にホットミルクを飲むと良いらしいから飲んでみたのだけど、もう早速眠気が……。8時だよ。


でも寝るよ。
とりあえず早起きすることを習慣化させたいから、少しずつ寝る時間も遅くしていくことにする。



部屋の片付けがすこーしずつ進んできて、嬉しい(^-^)
寝るところと勉強するところをカラーボックスと本棚で分けたところがポイント。
それにしてもほんとに私は物持ち。反省してる。買い物暫く控えよう(2回目)。あとは断捨離ね。


なんか珍しく普通の日記な気がする。いつもいつも哲学的なこと考えてる訳じゃないのよ。私だって一応19の乙女なのよ。




明日は部屋の片付けと、あと勉強をしましょう。
来年、漢検英検準一と行政書士の資格取る。

切符を無くした

切符を無くした。

何のって、厨川から盛岡行きの280円の切符だ。
7月5日20時52分に買った気がする。
財布の中にずっと入れていた。
その切符から足が生えてどこかに旅してしまったのだろうか。そうとしか考えられない。


その切符について語るには、私が捨てたはずの「過去」ってやつをほじくりかえさなきゃならないから色々面倒なのだが、まぁ簡単に言えば、

大雨の夜、親友から拒絶され、絶望して280円だけを持って駅に向かい、切符を買ってホームに佇んでいたのだが、結局電車に乗ることも死ぬことも出来ずに寮に戻ったというアホらしい意気地無しの人間の物語である。


その二日後には10代最後のバースデーで、精神大崩壊するのだが、とにもかくにもその切符を財布の中に入れておくことで何だか変われる気がした。
とゆーか、実際に変わった。茶髪にパーマに彼氏にバイトに、今までの私では考えられないようなことをして、それまた崩壊して、それでもあまり落ち込まないくらいのメンタルを持てるくらいになった。

つまり
その切符を持ってることで私は今の私になれたのだ!

……と、気休めていた代物だ。






一生私はこの切符を持っていようと思って財布の中に入れていたのに……ぉょぉょ

と、思ったのだけど

「もう必要なくなったんだな」

と、思い直した。

きっと私はもう大丈夫。
過去を振り返らずに生きていけよっていう何者からかのメッセージなんだと思う。




盛岡大学の寮を引き払ってきた。
長内さんが、いつでも遊びに来てねっておっしゃってくれたけど、たぶんもう行かないだろう。

同級生で見送ってくれる人間誰もいない~
なんて笑えてきた。





私、目標を決めた。
・3年で1000000円貯める。
盛岡大学の学費は社協奨学金を使っていたのだが、私はそれを全額自分で返していくつもりだ。あと車の免許ローンも車も全部自分で払う。当たり前だけど。だから、なかなか百万なんて貯まるものではないと思うけど、とにかく百万貯める。

漢検英検準一級、行政書士の免許を来年取る。それ以降も資格マニアになる。調理師の免許も追い追い取りたいし、ドイツ語の勉強もしたいし、介護初任者研修も必要だし、とにかくチャレンジャーになる。




まーずは明日から部屋の片付けとかバイトとか手術とか色々ある。頑張ろ。

守られて一度きりの生き方を構成していく

工藤さんとおしゃべりしてた。
私が一方的にべらべらしゃべってたともいう。


価値観というのはひとそれぞれだから、私と180度異なった価値観の持ち主にあれこれ語り聞かせて洗脳させようとか改心させようとかいう気持ちは全くないし、むしろそういう人たちと本気で議論しあって視野の広い人間になりたいのだけど、やっぱり価値観の似ている人とおしゃべりするのはとても楽しいことだ。



ちょっぴり関係ない話をする。


たまに、「あ~私って守られてるなぁ」って思う瞬間がある。
木の枝が目に入りそうになったけど何とかセーフだったり、スカートの裾に引っ掛かったけど転ばずに済んだ場合だったり、ぶっちゃけほんとにしょーもないことでそんなことをつくづく実感して暫く瞑想に浸ったりする変人なのだが、そんな自分のことは嫌いではない。

誰に守られてるって、別にここで宗教的な説教をしたいわけじゃない。仏様かもしれないしイエスかもしれないしYHWHかもしれないしアッラーかもしれないしアフラマズダかもしれないし、死んだおじいちゃんかもしれないし、私の背中にいつもいる守護霊様かもしれないし、毎日のようにlineをくれるお母さんかもしれないし、秋田にいる親友かもしれないし、コンビニの店員かもしれないし、そのへんに住む野良猫かもしれないし、小さな小さな石ころかもしれない。

とにかく
何者かに何物かに守られて毎日生きてるってことは、強ち間違いじゃないと思う。

永遠に私のことを守ってくれるわけではないかもしれな
い。明日には敵になってる可能性もある。けれど、そういうこともひっくるめて、私はすごく守られている存在だなぁと感じるのだ。

そしてそれと同時に、私は今誰かのベールになっているのだ。誰かの生きる活力となっているのだ。



ありゃりゃりゃりゃ、詩織にしては珍しくモラル的ですね。正義のヒロインでも演じたいんでしょうか。正しさを説いて説き伏せて封じ込めようとでも疚しい気があるんでしょうか。

というアンチはスルーするとして、、、

私はね、生きてるってことは迷惑を掛け合って守りあって毎日を過ごすってことだと本当に思うんだ。一方通行で物事は進まないんじゃないかな。



こんなことを思うようになったきっかけが、工藤さんだ。
それまでの私は、自分の存在そのものが迷惑極まりなくて、申し訳なくて、いかに皆に迷惑を掛けずに済むかってことに全身の神経を注いで生きていた。そんな私が、迷惑は掛けてナンボ、守られて守って生きてくぜベイベーって思えるようになったのは自分でもすげーなって思う。





色んな生き方がある。
色んな生き方がある。

人生は一度きり。生きるのは一度しか出来ないけど、色んな生き方を知って、生きていきたい。




工藤さんありがとう。
大好きだよ(*^^*)

やっぱ面白いこと書けぬ

なんか真面目腐ったブログを書き続けるのもうざいから面白いこと書くことにした。と言っても私の性格は面白い要素あんまない気がする。

まずね、風邪引いたのね。昨日の朝喉痛いなぁって思ってたら、案の定鼻水じゅるじゅるするようになったわけ。それなのに寒いなか歩いて本屋行ってきて、カワチにも行ったのに風邪薬買わないで帰ってきたわけ。
まぁそんなつまんない話はどうでもいいんだけど、風邪引くとマスクするじゃん?寝るじゃん?おとなしくしてるじゃん?それなのに何でメンタルヘルスになると目くじら立てて皆騒ぎ出すのかしらね。

いやぁあのね
前に元カレに「お前はメンヘラだ」って言われたことがあるわけ。それでメンヘラってなんやねん!ふざけんなや!精神障害者馬鹿にしてんのか!とかナントカ思ったんだけどね、あとからネットで色んな人のこと見てたら、あーこーゆーのがメンヘラなのかぁ~って妙に納得しちゃったのよ。リスカの傷痕アップしてるやつとか、未だに理解できん。あわれんでほしいんか?誰も寄ってこねえよって思うし。

だ、け、ど、
「風邪引いた~。やべぇww 」
とかってふつーに言うよね??それって
「あたしうつ病なの。死にたい」
って言う人と大差なくね?

私も含めて、何か精神的に病気だっていうだけでなんか他の病気と区別差別しちゃうのってあるよね。



精神病院に入院してたとき、そりゃーまー色んな人がいたわけ。
突然何もないのに笑い出す人とか、幼稚園児みたいに泣きわめく人とか、涎だらんだらん垂らして歩く人とか。ちょーうざい人もいたし、ちょーめんどい人もいたし、ちょーしつこい人もいた。

私はどう思われていたのかわからんけどね。

とにかく
鍵の締まったドアの先とは何次元も異なったケイアスな世界が広がっていたわけ。

それを間近で、ってゆーか当事者として体験した私は、やっぱ疑問に思うのね。
精神障害者って、何だろう?って。

精神弱い人が精神障害者になるとか、甘えん坊や構ってちゃんがうつになるとか、まぁ色んなこと好き勝手にほざくあほんだらがいるけど、そいつらにしりもちもちつきつかせて、願わくば土下座させるにはどーしたらよいんだろう?


私の解釈はこちら。

『どーでもいんじゃね?』


つまりね、精神障害者を差別する人も実際に苦しんでる人も理解がある人も皆、好き勝手に生きていたらそれでいいんじゃね?

だって
実際に構ってちゃんかもしんないし。
本当に辛くて苦しいのかもしんないし。

色んな価値観考え方生き方があっていんじゃね?


他人を傷つける言動は慎めだとかいう道徳的思想なんて私はキモいと思うのね。そんなこと言ったところで何になる?「そうか!わたくしは今までなんと愚かな人間だったのだ!多くの人の心を痛め付け、死までも至らしめる切欠を創造していたのか!どうか神様お許しを~!アーメン!!!」なんて改心回心するとでもお思いか。



だから
精神障害者になるのも、精神障害者を馬鹿にするのも、精神障害者とともに生きるのも、皆好き勝手にすればよいのだ。

うーぬ、精神保健福祉士やっぱ目指そうかな。

ひとりごちる

すごくどうでもよいのだけど、ものすごくスマホの調子が悪い。勝手に操作ささるのがちょっと腹立たしい。いや、かなり苛々する。でもそれでもブログを書きたいという気持ちの方が勝っているので、哲学的な独り言を書き記そうと思う。

そもそも哲学、即ちフィロソフィー<知を愛する>とは、一言で表し直すと「暇人のひとりごち」なのだと思う。schoolの語源であるスコラ哲学だって「暇」とかそういう意味だったはずだ。何千年も前の古代ギリシアアクロポリスでなぜあれほど哲学が発展したのかといえば、要は皆仕事は奴隷たちが汗水流してやっていたわけで、やることがなかったからだ。

とまぁ当たり前なことをあれこれ論じてもちっとも面白くないから、もっと楽しいことを語ろう。

前に大学の講義で、「人間の頭は進歩しているか」みたいな話になったことがある。
なんか私の勝手な偏見なのだけど、人間はどんどん進歩してどんどん馬鹿になってる気がしていた。
でも考えてみれば、古代4大文明とかローマ時代のアッピア街道とか、イスラーム千夜一夜物語とか、室町時代金閣寺とか、現代のスカイツリーとかナントカ文学賞とさして変わらないような歴史的産物というのは限り知れないほど存在する。科学技術というのは一歩一歩進んでいくものだけど、もっとラディカルな人間の頭脳っていうのは全然変わってないんだと思う。つまり、元々人間はすげー頭脳明晰な馬鹿なんだろう。



倫理学的な話をしよう。
倫理っていう響きがすごく私は好きだ。訓読みすると、「みちのことわり」。どきどきするくらい素敵な響きだ。

人間は誰しも、生きていれば必ず、大なり小なり過ちを犯す。 その事について話そう。

今年を振り返るのはまだ早いのだけど、今年一番ショッキングな事件といえば二つある。そしてその二つには共通したことがある。

佐世保の事件とイスラム国の米国人公開処刑だ。
この二つは、真犯人は別にいるのではないかと私は思うのだ。勿論殺害したのは逮捕された彼女であり、イスラム国の英国人であるのだけど。
というか、どの事件でも同じようなことが言えるんじゃないだろうか。「殺そう」とか「犯そう」と思うに至らしめるきっかけとなったのは、その人を取り巻く人間であり環境であり時代であり制度であるのだ。
いわば、逮捕される人間というのはそういう真犯人と事件との傀儡になっているに過ぎないのだ。無論、傀儡されるというのは、それだけで大きな罪であるのだが。

私たちは皆罪人だ。
いつどこで真犯人になるのかわからない。この世界に生まれてきてしまったその時点で真犯人なのかもしれない。

別に私は左翼的思考の持ち主でも性悪説を打ち立てる思想家でもないから、偉そうなことは何一つ言えないのだけど。


真と偽
善と悪
美と醜

このことについて常に考えている変人に過ぎない暇人のひとりごちでした。